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ジェンダー論 法学

「性交同意年齢」の13歳から16歳に引き上げに伴う、年齢差条項の正当性について

投稿日:2023年2月4日 更新日:

法制審議会(法相の諮問機関)の刑事法部会が、性暴力被害への対応強化のため、刑法などの改正に向けた要綱案をまとめたようだ。https://www.jiji.com/jc/article?k=2023020300517 
「要綱案では、現行法と同様に13歳未満との性交は同意の有無にかかわらず違法と規定。その上で、同世代間の性行為で罪に問われることがないよう、13~15歳の場合は年齢が5歳以上年上の者を処罰対象とした。」(記事抜粋)

→これはどういう論理に基づくものなのだろうか。

ここで「同意年齢」の意味を振り返ってみよう。

「日本では13歳未満の者に対する性的な行為は禁止されており、その『13歳』は同意年齢であり、13歳未満の者は性的な行為の意味に関する判断能力を備えていないので、その『意思の自由』の選択の内容を問うことなく、不同意が法的に擬制される・・・たしかに、性的な価値について十分に理解する年少者の同意がある例外的な場合につねに性的人権侵害があるとはいえない・・・しかし、その同意能力の個別審査は事実上困難であり、また、性的プライバシーの観点からもそのような法的介入は好ましくないと思われる。それゆえ刑法は『13歳』の年齢を明示し、13歳未満の者であることの認識があるならば、事実上の個人の能力の有無・程度を問わず、また、性的人権侵害の事実の立証を要さず、形式的に故意犯を認める。」(森川『性暴力の罪の行為と類型』133-135頁)

この理は、同世代間の性行為でも妥当するのではないか。15歳でも不同意の客体に対しレイプを成しうるのであるから。

仮に上記「5歳以上条項」が含まれるのであれば、それはもはや「同意年齢」と呼ぶことはできないであろう。

このような「5歳以上条項」が考えられた背景には、「同世代間の性行為には年齢差のある当事者間の性行為よりも同意が推測できよう」という認識によるものであるかにも思われるが、それは従来の「同意年齢概念」と相容れない考え方であろう。前述の通り、同意年齢未満の者は性的な行為に意味に関する判断能力を備えていないので、その「意思の自由」の選択の内容を問うことなく、不同意が擬制されるというのが、従来の同意年齢概念の考え方である。ここで基準となっているのは、客体の判断能力であって、行為主体との関係性ではない。

さらに「同世代間の性行為には年齢差のある当事者間の性行為よりも同意が推測できよう」という認識の正当性も検討する必要がある。例えば15歳の女児が、同級の男児と性行為をする場合と、30歳の男性と性行為をする場合との間に、該女児の意思形成の過程にどのような違いが一般に認められるのであろうか。一定年齢以上の大人が年少者に対して性愛感情を向けるのはおかしい、というのは年少者が同意能力を有しないことに根拠を持つべきで、「同性愛は気持ち悪い」というように「幼児性愛は気持ち悪い」と、抽象的に語ることは、特定の性的趣向をもつものに対する差別にほかならないと考えるhttp://blog-rin-life.com/%e5%b9%b4%e5%b0%91%e8%80%85%e3%81%ab%e5%af%be%e3%81%99%e3%82%8b%e6%80%a7%e7%8a%af%e7%bd%aa%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/ 

幼児性愛者からの被害を防止するという政治的な根拠により「5歳以上条項」が肯定される余地もあるだろうか。いずれにしても同条項を認めればやはり、「同意年齢」概念の性質・説明は変容を余儀なくされるのではないだろうか。




追記

・追記20231003
検討が進んだので、記録しておく。
参考:「法務省:性犯罪関係の法改正等 Q&A」 https://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00200.html#Q9

従前の性交同意年齢は「それ未満の者は性的な行為の意味に関する判断能力を備えていないので理論的に同意が不可能な年齢」を意味するところ、改正して、年齢差条項を付与してしまっては、もはやその定義が維持できないと考えていた。 したがって、論理構成の変更が必要となるように思う。

例えば、
「13歳未満の者は同意不可能」

「13歳に達すれば判断能力が熟し性的同意が可能になる」

しかし

「13歳〜16歳の年少者と他者との関係については」

「そこに5歳以上の年齢差がある場合には心理学的・精神医学的知見により、絶対に対等な関係はあり得ないため」

「性的判断能力を身につけて間もない16歳までの年少者を非対称な関係から保護するために」

年齢差が5歳以上ある場合かつ他方が16歳未満である場合の性行為を禁ずる

とかいう感じなら、筋が通るか。 また、積極的に年齢差条項の必要性を主張するためには(何故、16歳を同意年齢にしてそれ未満の者との性交を一律に禁じるという構成にしないのかという問いに答えるためには)、「刑法の謙抑性」を持ち出すべきであろう。 なお、海外の法制でも年齢差条項はあるようだ(https://moj.go.jp/content/001132261.pdf…)。この点に関しては外国の議論含め研究が必要だろう。また、国内の刑法学者が改正を機に、年齢差規定について議論することも期待する。「心理学的・精神医学的知見」なるものも確認が必要。 また、この「16歳」を「性交同意年齢」と呼ぶことは、不正確な(違和感のある)表現になるようにも思う。上記のような構成をとるならば。あくまで性交同意が可能になる(成熟する)年齢は13歳であって、13歳〜16歳については、「関係の対等の不可能性」という別の理由を根拠とする規制であるからである。


年少者の場合、同年代間の性行為でも(いや、むしろだからこそ)、同意なき性交となることも多いのではなかろうか。個人的な経験則上でも、極めてコンセンサスのあり方が危うい態様で性関係を持つ若年層や、もっといえば「酔わせてヤっちゃおう」みたいなことを平気で言うような友人も少なくない。

また、「先生と生徒」的な関係、典型的に描かれるのは、年上の男性に想いを寄せる女子生徒みたいな少女漫画的性愛関係、ここの基礎となるのは、「年上男性への憧れ」であって、「対等でない関係」の帰結によるものではないだろう。「先生と生徒」的な性愛関係に否定しえないような愛の強度のようなものが生じえることは、数々の創作作品や各人の経験から明らかであろう。

つまりは、13歳以上〜16歳未満の人と5歳以上年長の人の関係について「絶対に対等な関係はあり得ないといえる」、というのは、明らかにフィクションである。

もっとも、13歳未満の者につき”一律に”性的同意をする能力がない、というのも明らかにフィクションであるから(精神の成熟の差は個人によって異なる)、ここでフィクション性が存することについては決定的な問題ではない。

ここで問題となるのは、「13歳未満の者には性的同意能力がない」ということの正確性と比べ、「5歳以上の年長者と対等な関係は絶対にありえない」ということの正確性がどの程度あるかということだ。換言すれば「どの程度の人(関係性)がその命題に当てはまるのか」ということ。

ここの評価は難しいように思う。

次に、「年少者達の空間では」「5歳以上の年齢差のある場合、絶対に対等な関係はあり得ないといえる」から「その性関係を禁止する」というのには、論理の飛躍がある。

何故なら「対等な関係でない」としても両者の自由意志のもとでも性愛関係は成立しえるだろうからである。

正確に記述するとしたら、例えば、「年少者達の空間では」「5歳以上の年齢差のある場合、絶対に対等な関係はあり得ないといえ」て、かつ「左様な対等でない関係のもとでは非対称な関係性を利用して同意なき性行為(ないし性搾取)が行われる蓋然性が高い」ため「その性関係を禁止する」という論理構成となろう。

つまり、整理すれば、

①「(年少者達の空間では)5歳以上の年齢差のある場合、絶対に対等な関係はあり得ないといえる」
又は
①’「(年少者達の空間では)5歳以上の年齢差のある場合、対等な関係でない蓋然性が高い」



②「(年少者達の空間での)、対等でない関係のもとでは非対称な関係性を利用して同意なき性行為(ないし性搾取)が”必ず”行われる」
又は
②’「(年少者達の空間での)、対等でない関係のもとでは非対称な関係性を利用して同意なき性行為(ないし性搾取)が行われる”蓋然性が高い”」



③よってこれに該当する性関係を禁止する。

上記の①(①’)→②(②’)→③という構成によって、それに該当する性行為を法によって禁じることができることになる。

よって、やはり①(①’)②(②’)のそれぞれの正確性(社会の中でどの程度の人(関係)がそこに当てはまるか)という問いが重要になる。

また、いうまでもないが、一定の割合で年少者に対する性搾取を行うものがいたとしても、それを理由に年齢差のある性愛関係を禁じることは、人の生活への強い介入であるから、相当に慎重になる必要がある。これは13歳未満を一律に性的同意が不可能と規定することについても指摘できる問題である。

人間社会は歴史上、一定の性的趣向を持つ人を排除してきた。よって、ある規制に正当性があるか否かについては常に警戒しなければならない。

「私は若い子に興味がないし、若い子とセックスするなんて気持ち悪いから別によくない?」という問題ではないのである。

「気持ち悪い」から規制するわけではなく、「そこに法益侵害が存する」から規制するのである。逆に言えば「法益侵害が存在しない」のであれば規制してはならないし、同時に過剰な規制となってもいけない。

ジャニーズ事務所や、ガボンのサッカー界(https://www.bbc.com/news/world-africa-66959227)の事件など、年少者の性搾取の問題は深刻だが、法規制を考える、法学に携わる者は、ある正義の達成により排除されるマージナルな存在に目を向けることを忘れてはならない。

さて、ここまでいろいろ書いてきたが、性暴力問題については捗々しい処方箋が用意できるわけではない。「当事者を調べれば同意があったかどうか分かる」ようなものではない。”分からない”のである。にもかからず、被害も、その裏側としての冤罪の不利益も非常に大きい。

ここにやはり難しさがある。

いろいろ難しい話は抜きにして、簡単にいうならば、年齢差条項は「ペドフィリア(ないしロリコン)が多いから年齢差がある場合の性愛関係を一律に否定してしまおう」ということであるようにも思う。

これは、「ある年齢未満は、精神の未熟ゆえに性的同意が不可能であるから、彼・彼女らとの性関係を否定しよう」という規範とは全く異なる。

ここに、規範の根拠の違いがあることは、意識しなくてはならないだろう。


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