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ジェンダー論

感想 『わたしたち、体育会系LGBTQです 9人のアスリートが告白する「恋」と「勝負」と「生きづらさ」』田澤 健一郎・著/岡田 桂・監修

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感想 『わたしたち、体育会系 LGBTQ です 9人のアスリートが告白する「恋」と「勝負」と「生きづらさ」』田澤 健一郎・著/岡田 桂・監修

読んだ。

206頁。人種による身体能力の優劣と、男女の身体能力の優劣の対比は示唆的だ。確かに、アジア人と黒人選手は、身体能力の差が大きいのにも関わらず、同じ枠組みで競争している。であれば、MtFの女性競技参加の際に。生じる身体能力の差についても、社会認識として許容範囲となることがあるのかもしれない。

207頁。トランスとDSDについて取り扱えを変えるべきだという。曰く「MtFは、出生時に性別を割り当てられた後に、自らのさまざまな経験や生活を通じて男性から女性への性別移行を行なっていく存在です。DSDの女性選手は女性として生まれ、法的にも社会的にも女性として生活してきたのに、女性としてプレーさせてもらえないという状況がある。それは社会が認めた性別という理屈からすれば、明らかにおかしいともいえます」とのこと。
 これは、微妙な記述であると思う。「生まれ」を強調しすぎではないだろうか、トランスでも、社会で女性として生活していることに変わりはなく、女性としてプレーさせてもらえないことの苛烈さは、例えば、女性にトランスしてからの期間が長い者についてはDSDと比肩するし、さらに言えば、幼少期からDSDのように女性として生活できなかったのは社会の責任である。したがって、DSDとトランスについてはもちろん全く違う存在ではあるものの、競技から排除することの苛烈さみたいなことに一般的に差をつけるのは、理論的問題があるように思う。しかし、全く別の話として、詐欺的にジェンダーを詐称して、女性競技に参加する者を排除するために、社会において一定期間、女性として生活していることを競技参加の要件とすることなどはあり得る思う。しかしながら、やはり、「女性の身体として生まれたかどうか」「女性としての期間が長いかどうか」を、競技からの排除の苛烈さの判断基準に用いるのには違和感があるし、ジェンダー論の伝統的な理論とも整合しないだろう。女性の身体として生まれたか否かは確率論であるし、女性に早い段階で移行できるかどうかは、社会の問題である。トランスとDSDとを如上のように峻別するのは筋が悪いだろう。
 かくして、私見としてはジェンダー<性自認>がスタンダードの基準になっていく潮流の先には、むしろ、一律でテストステロン値(その他、ホルモンや筋肉量)を基準にする未来があるだろうし、そうあるべきであろう。なおかつ、それで皆が問題なく流動的で多元的な性の基準を受容していくべきだ。DSDを女性競技に参加させないのは「明らかにおかしい」のならば、MtFを女性競技に参加させないのも「明らかにおかしい」と言わざるをえないのである。私が、テストステロン分別に肯定的なのは、テストステロン値の別は、ジェンダーやセックスの問題とは別だという意識のパラダイム転換を生じさせる可能性もあると思っているからだ。

208頁。身体能力の細分化の話は興味深い。曰く「パラリンピックは、身体の能力を細かく区分し、再構成して平等になるよう、各競技の種目を細分化していますよね。その結果、車椅子ラグビーは男性と女性がいっしょにプレーできるようにもなっている。こうした方向でいえば、現在の男女別カテゴリーについてもテストステロン値だけではなく、筋力などでもっと細かく区分すれば、平等に近づくのではないかという議論あります」。
 なるほどこれは面白いアイデアだ。思うに、「テストステロン値」というのは一つの象徴であって、テストステロンである必要はない。要するに協議の公平のために身体能力の差異を分類できる要素Xであればよいわけだ。その要素X、例えばテストステロン値や筋肉量の基準を用いて、再分類するのである。再分類にはコストがかかるという非難はあるかもしれないが、学校などでは、体力テスト等のデータがある場合も多いだろうし、やってみれば実現可能にも思える。そのようなデータがない場合には、便宜的に男女別にすればよい。また、競技性の高いプロ競技の試合、大会についてのみ、そのような再区分を実施するというのも手である。また、二分類にすると、どうしても男女のアナロジーが出てきて厄介であるから、3分類とか4分類に再区分するのも手かもしれない。いずれにしても、大きな大会については、如上のような方向も有力か。なお、競技性の高くはない、学校や、市民大会のような場、あるいは細分化にコストがかかるような場面では、性自認による分類で問題ないように考えている(保守派やTERFからの激しい反発があるかもしれないが)。

200頁。ところでラディカルでかつ大変興味深いのが、以下の指摘だ。曰く(ジェンダーの価値観が社会に広まっている状況で)「いつまでも、男女差が出るスポーツを教材としておいていいのか、という議論もいずれ出てくるはずだ」。
 これは、スポーツの奨励をやめたり、学校教育の一環から撤退させたりすることを視野にするものだろうか。だとしたら面白いし、盲点であった。確かに、スポーツを必ずしも社会全体でエンパワーメントし続ける合理的な理由はない(歴史的な理由はあるが)。男女差がここまで顕著なやっかいなものを、過剰に称揚する必要はないとする(あるいは少なくとも公教育の中からは撤退させるという)、そういった視点はラディカルであるが、しかし非常に合理的で魅力的である。

・218頁。「インタビュイーを探すのに苦労した」とある。なるほど、確かに、その点に関して、本書は賞賛に足るだろう。

・女子サッカーの「メンズ」の話は知らなかったので勉強になった(第6話)。

・そう言えば、男子プロレス界での「ホモ」に関するコミュニケーションについて吉田豪と前田日明が対談していた(以下添付27分頃から)。

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