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アントロポゾフィー医学と現代西洋医学の違い

投稿日:2020年12月29日 更新日:

rin 2020.12.29

序論

 本稿の目的は、アントロポゾフィー医学の特徴、特に一般の医学(西洋現代医学)とどのように異なるのか述べることである。
 そのために、アントロポゾフィー医学の根本ともいえるゲーテ自然学については『つながりと共生の哲学』(寺石 2018)を参照し、アントロポゾフィー思想とその医学への応用方法につては『シュタイナーのアントロポゾフィー医学入門』(入間他 2017)などを参照し、それぞれ考察した。
 以下、第2章ではアントロポゾフィーとはなんなのかということについて簡単に述べ、第3章ではアントロポゾフィーの思想体系について明らかにし、第4章ではアントロポゾフィー医学の医学での応用方法、第5章ではその実践方法について明らかにし、結論ではアントロポゾフィー医学と現代西洋医学の相違点について論じる。

第2章 アントロポゾフィーとはなにか

第1節 はじめに
 アントロポゾフィーとはヨーロッパの思想家ルドルフ・シュタイナー(1861〜1925)の考察した宇宙と人間、過去と未来を結ぶ壮大な思想であり、その思想に基づく医学がアントロポゾフィー医学である。
 本章ではそのアントロポゾフィーの考え方について紹介するとともに、その思想の根本ともいえるゲーテ自然学にも触れておく。

第2節 アントロポゾフィーとは
 アントロポゾフィーは先に述べた通りシュタイナーの考察した壮大な思想である。アントロポゾフィーという言葉はギリシャ語の「アントロポス」(人間)と「ソフィア」(知恵)の合成語で「人間の叡智」という意味になる。そこから日本でも「人智学」と訳される。
 私は今回のレポートで初めてアントロポゾフィーやそれに類するゲーテ自然学という思想に出会ったのだが、正直、この思想や考え方を理解しようとするのはかなり難解だったし強い抵抗を覚えた。
 私は今まで、現代西洋科学こそが唯一絶対であり、現代西洋科学を根拠としないもの、例えば運や神、超感覚的な思想については人間が考え出した妄想に過ぎず、現代西洋科学で物事を分解し解剖して研究すれば、この世に理解できないものはないと確信し、疑ったことがなかった。しかしアントロポゾフィーとは、この私のような考えと真っ向から対峙するものなのである。
 アントロポゾフィーでは、現代西洋科学で説明されるような目や顕微鏡で確認できる物体や肉体の他に、目に見えない構成物があり、それが私たちの世界や肉体、精神にとって重要な役割を担っているとする。この目に見えない構成物の存在は現代西洋科学の裏付けを必要としないものであり、あらゆるものに自然科学からの説明を求めてきた現代社会の我々にとっては簡単には受け入れがたい考え方である。シュタイナーの生きた時代は間違いなく、西洋科学こそが全てであり正義であるという潮流のなかにあったはずだが、シュタイナーのこの超感覚的な思想はどこから生まれたのだろうか。
 
第3節 シュタイナーの思想形成
 シュタイナーはクラリエヴェク(現クロアチア領)に生まれ、鉄道技師の父親とともに自然に囲まれて育った。父親の意向で実業学校から工科大学へと進み、数学や自然科学を学んだが、哲学や文学、歴史の講義をウィーン大学で聴講したりもした。その後、家庭教師をしながら苦学を続け30歳のときに博士号を取得している。その過程で、ゲーテ全集の自然科学論文集の編集を任されたことで、次第に評論家や哲学者としての立場も築いていった。
 シュタイナーは二十代、三十代を通して、女権運動で知られるローザ・マイレーダーや、進化論者のエルンスト・ヘッケルなどの文化人と交流した。また時事問題を扱う週刊誌や文芸雑誌の編集に携わり、社会主義者であるヴィルヘルム・リーブクネヒトが設立した労働者学校で講師を務めるなど、常に最前線で社会と向き合っていた。初期には『ゲーテ的世界観の認識論』、『真理と科学』、『自由の哲学』などの著書を発表したが、その立場は形而上学よりは唯物論に近いものだった、つまり西洋科学的な態度で学問に取り組んでいたわけである。
 そのシュタイナーが40歳を境に、いわゆる「目に見えない世界」(入間他 2017: 16)について公然と語りはじめた。「神智学」(テオゾフィー)の人々と交流を持ち、「神秘主義」や「神秘的事実としてのキリスト教」といった講演を行いはじめたのだ。神智学は多くの知識人や文化人の間にも広まっていたが、現代まで続く西洋科学が絶対的存在であるというこの時代の流れのなかで、その領域に足を踏み入れることで、シュタイナーは西洋科学を絶対とする人々から多少なりとも敬遠されるようになり、自身の評論家としての立場を失することになった。
 シュタイナーは自身の初期段階の自由論や認識論から、後期段階の「目に見えない世界」を視野に入れた人間学や宇宙論に至るまで「意思を尊重し、進化に寄り添う」という基本姿勢があり、一貫していると言い続けたが、シュタイナーの持つ、「目に見えない世界」を言語化、体系化し周囲の世界に理解してもらおうとする態度は、博士号をとる過程で接触したゲーテ自然学による影響を少なからず受けている。次節ではそのゲーテ自然学について述べる。

第4節 ゲーテ自然学がとる態度
 ゲーテ(1749~1832)は詩人として有名であるが、一流の自然学者でもあった。ゲーテの時代には科学革命が既に起こっていた。つまり当時は既に唯物論的な西洋近代科学の流れの方向は確かに決まったいたのであるが、ゲーテはその流れに真っ向から戦いを挑むような独自の科学を確立しようとしていた。これがシュタイナーに影響を与えた、「目に見えない世界」を対象とする科学である。
 ゲーテ自然学の二大分野とされるのが色彩論と形態学であるが、ここではゲーテの思考方法がよりわかりやすいであろう形態学の「原型」について触れようと思う。
 ゲーテは形態学において、原型(典型)という用語を用いる。これはあらゆる生物の形態を作り出す、もととなる存在であり、目で見ることはできないし西洋科学的方法で裏付けられることもないが、あらゆる生物の形態はこの原型から作られるという。
 原型には様々な段階があり、植物全体の原型、動物全体の原型、脊椎動物全体の原型、人間全体の原型などがあり、それぞれ生物のそれぞれの原型から作られ、そこから一定の限度を超えて変化することはない。
 ゲーテは西洋科学を論じるのと同じように、この、目には見えないし触ることもできない原型という超感覚的な存在を認め、感覚存在と超感覚存在の両方を扱うことが科学の正しい姿だとした。

第5節 小括
 寺石悦章は「ゲーテは空間的にも時間的にも全体を重視した。それは部分を単純に合計しても全体にならないから、全体は部分の合計以上のものだからである」(寺石 2018: 66)と書いている。これは、ゲーテやシュタイナーといった「目に見えない世界」を対象にする科学を扱う者の態度の根拠を分かりやすく表している。シュタイナーも、ただ人や、物を物質的に分解して理解しようとするのではなく、部分と集合の両方にアプローチすることによって世界を捉え直そうとしたのである。

第3章 アントロポゾフィーの思想体系

第1節 はじめに
 第1章ではアントロポゾフィーにおける大まかな思考方法について述べた。第2章では実際のアントロポゾフィーにおいて、その思想がどのように体系化されているのかを用語を交えて論じ、アントロポロゾフィーがどのように医学の領域で利用されるのかという議論に近づけていきたいと思う。

第2節  三分節の考え方
 アントロポゾフィーにはいくつかの特徴があるが、そのひとつの特徴として「心と身体を区別し、両者の関係を研究するだけでなく、目に見えない心なる領域をさらに『心』と『精神』、もしくは『魂』と『霊』に区別してかんがえること」(入間他 2017: 20)ということが挙げられる。このように人間を三つに分けて捉え直す考え方を「三分節」と呼ぶ。では人間を身体、精神、心と分けた場合に、この三つはどのように位置付けられているのであろうか。ひとつひとつ説明する。
 まず身体であるが、これは私たちが普段「身体」と言われ考えるのと同じように、物質からなる、目に見えるものであるから、特に詳しく説明しないが、アントロポゾフィーにおいて大切なのは、心や精神のような目に見えない構造物が目に見える身体と密接に相互に作用しあっているという発想である。
 次に精神について、アントロポゾフィーでは、「内と外」や「個と普遍」のように、世界や人間を分裂させて考えるのだが、それらを対象として考える主体のことをシュタイナーは「精神」や「自我」と呼んでいる。ここで重要であるのはシュタイナーがこの精神や、自我といったもの、そして個人の思考、感情、意志を「内なる感覚器官」として位置付け、他の目に見える臓器などと同じ様に扱っている(例えばアントロポゾフィー医学では多くの疾病の治療において、目に見える領域と目に見えない領域のそれぞれに対し同時にアプローチしている)ということだ。
 最後に心についてだが、これがもっともイメージしにくいと感じる。シュタイナーは、18歳の時に「右に向かって無限に延びる直線は、ふたたび左からもとの出発点に戻ってくる、すなわち左に向かって無限に延びる直線と同じものだ」という考え方に出会う。そして彼はこれを「時間」にも応用しようとしたのだ。すなわち「無限に遠い未来へ進んでいくことは、過去から戻ってくることと一緒なのではないか」という問いを立てたのである。
 これはシュタイナーの中で大きなテーマであり、彼は第一次世界大戦の頃には「人体の三分節構造」という認識を示した。『シュタイナーのアントロポゾフィー医学入門』の中で、この「人体の三分節構造」という認識について以下のように述べられている。

それは人間の身体のなかでは、神経系の知覚活動(情報)と代謝系のエネルギーというかたちで、”過去からの流れ”と”未来からの流れ”が常に出会い、内から外へ、外から内へと反転を繰り返している、という認識だった。そして、その二つの流れが合流する場所が、心臓と呼吸器を含む胸部の”リズム系”、とりわけ心臓なのだというのである。(入間他 2017: 25)

 この説明で示される認識によると、心とは、身体という物質的な目に見えるものと、精神が意識する目に見えないものが接触する場所であると位置付けられる。

第3節 小括
 本章で述べた通り、身体、心、精神というように、目に見える世界と目に見えない世界を分けて認識し、それぞれの関係を探るという姿勢はアントロポゾフィーにおいて基本的なものである。
 私は、このようなアントロポゾフィーにおける基礎的な考え方、例えば「人体の三分節構造」や「魂の働き」という考え方に馴染むのに大変苦労し、正直完全に理解できたとも感じられていないが、これらの考え方こそがアントロポゾフィー医学の実践の根拠になっているのである。次章ではアントロポゾフィーがどのように医療に応用されていくのかを理論面から見ていく。

第4章 アントロポゾフィーの医学への応用方法

第1節 はじめに
 これまでアントロポゾフィーの考え方について説明してきたが、ここからはアントロポゾフィー医学についての話に移る。本章ではアントロポゾフィー思想がどのように医療に応用されていくのかを理論面から紹介する。

第2節 アントロポゾフィー医学の概説
 アントロポゾフィー医学とは1920年代にシュタイナーとスイスの医師イタ・ヴェークマンが始めた新たな医学であり、アントロポゾフィー思想を根拠としたものである。世界約60ヵ国以上で展開し、2万人以上の医師と8千人近い各種医療専門家が実践している。
 私はアントロポゾフィー医学について学びはじめたころ、その実践方法に現代西洋医学と大きく異なる点が多かったため、アントロポゾフィー医学が実践される過程で西洋医学がないがしろにされ、医療現場でむしろ患者に悪影響を及ぼすのではないかとなるのでという疑念があったのだが、『シュタイナーのアントロポゾフィー医学入門』のなかで以下のように記述があった。

アントロポゾフィー医学の基本的な方向性は、補完的、統合的、全体的である。すなわち、アントロポゾフィー医学は、いわゆる「(オーソドックスな)現代医学」あるいは大学医学に代わる医学を目指そうとするのではない(それゆえこれは「代替医学」の一つではない)。そうではなく、現代医学を補完する医学を目指そうとする。つまり、その治療手技や治療方法は、現代医学のシステムの中に統合できるし、逆に、現代医学の手法をアントロポゾフィー医学の内部に統合することも可能である。(入間他 2017: 36)

 つまりアントロポゾフィー医学は決して現代西洋医学をないがしろにするものではなく、現代西洋医学では解決できないことや、自然科学だけでは説明できないことにアントロポゾフィーの全体的、集合的な手法で向き合い、補おうとするものなのである。このことを念頭に置き、各実践方法を見ることが重要である。

第3節 アントロポゾフィー医学の理論と二つの方法論
 本田常雄はアントロポゾフィー医学の根底にある意識として「人間とは一個の全体である。それは常にその部分、その器官の総計より大きい。」(入間他 2017: 36)と述べているが、これは現代西洋科学で語られるような、分解して個別に研究すればすべてが明らかになる、という考え方を非難しており、さらに本田常雄は「病を体験している人間の主観的な側面、存在そのものについて問う超越的な側面に対しては、自然科学とは異なる方法論によるアプローチが必要となる。」(入間他 2017: 37)とも述べており、現代自然科学・西洋医学の限界と、その限界を補うものとしてのアントロポゾフィー医学の必要性を示唆している。
 このようにアントロポゾフィー医学では、人間を物質的に分析する方法論と、それではカバーできない感覚的な部分を分析する方法論の両方が協働することが必要であるとしている。シュタイナーは前者を自然科学的方法論、後者を精神科学的方法論と呼んだ。アントロポゾフィー医学とはこの二つの方法論を組み合わせた医学のことなのである。
 
第4節 アントロポゾフィー医学における超感覚世界の認識方法
 第3節では自然科学的方法論と、精神科学的方法論を紹介した。自然科学的方法論は、普段私たちが利用している現代西洋医学と同じく、自然科学を担保としたものであるから特に説明を必要としないが、精神科学的方法論についてはその対象が目に見えず、また現代西洋科学で裏付けできない(裏付けを必要としない)ものであるから、現代西洋科学に絶対的な信頼をおいている我々現代人が理解するのは容易ではない。そこでアントロポゾフィー医学では、その一見独特にも見える世界観を専門用語を用いて体系的に説明している。ここでは特に重要な二つの概念について述べる。
 アントロポゾフィー医学における基本概念として「①四つの構成要素」と「②三分節」がある。

①四つの構成要素
 アントロポゾフィー医学では人間の体の構成要素を次の四つに分ける。
 一つ目は物質体である。これは目で見ることができる、体を構成する物質部分のことである。
 二つ目はエーテル体である。生命に秩序を与える生命力を担う。
 三つ目はアストラル体である。外界の知覚を担うとともに、体内の器官に動きを与える。
 四つ目は自我である。人間特有のもので個人の個性を担う。
 上記の構成要素では物質体がもっとも下位、自我がもっとも上位に位置しており健康な状態では、より上位の構成要素が下位の構成要素を制御し調和を保っている。このバランスが崩れることで様々な疾病に発展する。
 
②三分節
シュタイナーは人間の心身を、神経感覚系・リズム系・四肢代謝系の三つの機能に分けた。
 神経感覚系は、頭部で主に働く。外界の情報を中枢に伝え、情報を統合するような思考の力である。
 四肢代謝系は、腹部、四肢で主に働く。外界から栄養を取り入れ、体を構築する。また四肢を通して行動を実現する意志のはたらきを表す。
 リズム系は、胸部に位置し、神経感覚系と四肢代謝系の間で調整を行う。

 アントロポゾフィー医学の基本は上記の四つの構成要素と三つの機能に、様々な方法で接触し、崩れたバランスを正すということになる。この方法や過程については実例で示す方が分かりやすいので次章に譲ることにする。

第5章 アントロポゾフィー医学の実践

第1節 はじめに
 第4章で理論的にアントロポゾフィー医学の応用方法を示したが、本章ではどのようにそれが実践されているかを示しながら現代西洋医学との相違点を探っていく。

第2節 治療法
 アントロポゾフィー医学の治療には医薬品、看護療法、芸術療法/オイリュトミー療法の三つがある。
 医薬品は、植物や鉱物、動物由来の素材を用いて、自然の力から治療の力を引き出したものであり、東洋医学と共通する薬用植物も多い。
 看護療法は治療法のオイルを使用した繊細なタッチのアインライブングというマッサージや、多様な湿布療法からなる。リラックス効果とともに、患者の意識を体に向け直し、自分を慈しむという感覚を取り戻させるのに有効だとされている。またアストラル体やエーテル体に直接作用し、神経感覚系や四肢代謝系のバランスを修正するのにも用いられる。
 芸術療法には音楽療法、アートセラピー(絵画および彫塑)、歌唱療法、作業療法などからなる。患者の肉的欲求の表現を促したり、自分の繊細な感情を表に出させることで自分の個性に気づかせ、自我の安定をもたらすなど、能動的な治療が望めるとされている。
 オイリュトミー療法は、アルファベットの母音と子音を元にした「動き」を行う運動療法である。ゆるやかな流線的な動きを行うことで、精神状態から治療を促す。言語化するのが困難な心情や感情の障害を解消するのにも効果的であるとされる。

第3節 典型的な精神科学的方法論
 ここでは現代西洋科学の用いる自然科学的方法論に対し、アントロポゾフィー医学に特徴的な精神科学的方法論が顕著に現れている治療方法を紹介する。
 まず、アントロポゾフィー医学ではアントロポゾフィー医療品というシュタイナー思想に基づいてつくられた薬を治療に用いることがある。例えば上気道炎の際に、生体全体のバランスを回復させることを目的として、ミツバチを用いることがある。ミツバチは群れで一つの生体として存在しており、巣や群れに恒常性をもたらす習性が、人間の持つ種々の調整機能や自我機構の働きと似ているため生体のバランスに安定をもたらすとされている。
 熱に対してはレモン湿布を行う。レモンの持つ収斂作用は、膨張し過剰となっている生命力を収斂させることができるとされている。
 喘息の治療に際しては、銅を用いる。銅は美しさ、暖かさ、変化しやすさをもち、人間の心に深い関わりを持つとされ、腎臓に流布することで硬化や緊張として過剰に働いていたアストラル体を、調和的な働きへと促すとされる。
 高血圧は、自我や神経系の支配力が弱まりコントロールしにくくなっていることが原因とされているが、これにはいくつか治療法がある。一つ目の治療法は、境界を持ち、硬化し、再生力が少ないというところが神経系の特徴と似ているとされる鉛を投与することで心や体の緊張をほぐすという治療である。二つ目は芸術療法である、粘土から形を作り上げていく中で、自我が他の機能をコントロールしやすくなる。またオイリュトミー療法というでは、フォールムとよばれる幾何学の形態を動くことによって、無秩序な過剰な動きに形式を与え、自我や神経系を整える。

第4節 理論の実践への適用方法
 第3節では実際の治療について見てきたが、ここで第3章で紹介した「①四つの構成要素」、「②三分節」と実際の治療についての関係について考える。
 アントロポゾフィー医学では三分節で表される神経感覚系、リズム系、四肢代謝系のバランスが崩れることで疾病が起こるとされているが、この三つの器官に、「①四つの構成要素」の力を利用して、それぞれのバランスを修正するというのがアントロポゾフィー医学の治療の方法である。
 ここでおさえておきたいのは「①四つの構成要素」のそれぞれの力は「②三分節」のそれぞれの器官に別々に対応するように作用するということだ。この関係は以下のようになっている。
 

  
 神経感覚系は、無機的世界の力の領域とされ、この力が強すぎると人間の鉱物化がはじまり、動脈硬化症、悪性腫瘍、リウマチなどがおこるとされる。
 四肢代謝系は、植物的世界の力の領域とされ、この力が強すぎると人間の植物化がはじまり、炎症生疾患などの炎症生の病変が引き起こされる。
 疾病のメカニズムは上記のようになっているがそれに対してはアントロポゾフィー医学以下のように対応する。
 無機的世界の力が強すぎる場合は、対極の植物的世界に作用するエーテル体の力が弱まっていると考えられるため、エーテル体の賦活化作用を持ったアントロポゾフィー医薬品の投与や、リズミカルマッサージなどによりエーテル体の力を活性化させるなどの治療が行われる。
 植物的世界の力が強すぎる場合は、対極の無機的世界に作用する物質体の力が弱まっていると考えられるため、鉱物化作用を持ったアントロポゾフィー医薬品の投与や、冷却作用をもった湿布で鉱物化作用を促進させるなどの治療が行われる。
 また動物的世界のリズム系に作用するアストラル体の力を強めて、両者のバランスを修正することも行われる。芸術療法やオイリュトミー療法を通じて、アストラル体を刺激し、動物的世界の力を強めるなどの治療がある。さらには心理療法を通じて、自我の力を強め、自己を明確にすることにより、患者の能動的な治療への参加を促すというような治療も行われる。

第5節 小括
 本章では非常に簡単であるが、アンポロゾフィー医学の実践方法とその体系的な裏付けについて述べた。アントロポゾフィー医学では、現代西洋医学の扱わない目に見えない範囲を対象として、エーテル体や、アストラル体などの四つの構成要素の力を刺激し、神経感覚系やリズム系などの三文節構造のバランスを調整するという自然科学的方法論に依らない治療法を特徴とする。
 しかしこのような考え方は、現代の現代西洋科学に絶対的な価値を置く時代の前には、当たり前のようにおこなわれていたことのようにも思える。シュタイナーは、このような失われた概念を現代に蘇らせることが、医学や人類の発達に重要だと考えている。
 また、アントロポゾフィーの「健康生成論」的な考え方にも触れておきたい。アントロポゾフィー医学では、オイリュトミー療法や、芸術療法などの自我に働きかける治療などにも見られるように、常に「私」との対話を怠らず、自分と向き合うことでその特性を知り、能動的に働きかけることを重要視している。つまりアントロポゾフィー医学で大切なことは、主体的に体全体のバランスと整え、元来の生体の営みを取り戻すことなのである。

結論

第1節 まとめ
 本レポートではアントロポゾフィー医学の特徴について論じるために、アントロポゾフィー思想や、その根本ともいえるゲーテ自然学について考察し、アントロポゾフィー医学の理論と実践の両面から、主に現代西洋医学と異なる点について見てきた。
 私は正直、シュタイナーの全体主義的な考え方に馴染むのには抵抗感が強かった。例えばミツバチを薬に調合することの理由を、その巣の温度が一定に保たれているところや、巣から遠心的な力で飛び立ちまた戻ってくる姿を人間の体温調整機能や恒常的な性質になぞらえて説明しているところ、また銅の美しさや温かさが人間の心や感情と結びつく、というような人体の見方について学んだ時には、無意識に「自然科学的な裏付けはあるのだろうか」という考え方をしてしまった。しかし、シュタイナーのアントロポゾフィー医学はそもそも自然科学による現代西洋医学では扱えない範囲に取り組むことを照準に定めたものであるから、自然科学による裏付けなど必要がないのだ。この考えに至った時、私はアントロポゾフィー的な考え方や見方が少し理解できたような気がする。またアントロポゾフィー医学は決して現代西洋医学にとって代わろうとするものではなく、補完的な存在になることを目標としたものであるということも重要である。
 一般の医学とどのように異なるのかという点に関して言えば、まずアントロポゾフィー医学は一般の医学(現代西洋医学)と内包するものであるといえる。アントロポゾフィー医学ではまず現代西洋医学で自然科学的に分解して検査し、その上で現代西洋医学で見えていない範囲にアプローチする。この多角的な視点こそがアントロポゾフィー医学の基本であり、現代西洋医学に欠けているものなのだ。

第1節 最後に
 本レポートを書くに当たり、アントロポゾフィーやゲーテ自然学などの多くの初めて知る思想に出会うことができた。そこでは今まで私が絶対的だと信じていた現代の自然科学の不完全さが指摘され、それとは違う様々な目線や方法論の重要性が示されていた。最初は抵抗感こそあったものの、たしかに学校などで教えられる自然科学が全てなのだと、盲目的に考え、他の可能性を排除することは愚かなことであると納得できた。未だシュタイナー思想やゲーテ自然学については一読して理解できなかった箇所も多いため、今後ともより詳しく学び、今まで触れたことがなかったような思想にも触れていきたい。

引用文献一覧

  • 入間 カイ・本田 常雄・安達 晴己・小林 啓子・山本 百合子・堀 雅明・福元 晃・山本 勇人・塚原 美穂子・浦尾 弥須子・藤原 葉子・揚妻 由美子・村上 典子・瀧口 文子・鶴田 史枝・江崎 桂子・小澤 裕子・小澤 千世子・矢部 五十世・石川 公子・吉澤 明子・竹田 喜代子・近見 富美子(2017). シュタイナーのアントロポゾフィー医学入門 ビイング・ネット・プレス
  • 寺石 悦章(2018). つながりと共生の哲学 寺石研究室

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