MtFの女子トイレ利用の一般的承認に反対する。
総論
MtFの女子トイレ利用の一般的承認に反対する(扇状的なタイトルにしてしまったかな?しかし、色々な立場の人に読んでもらいたかったのである)。
たしかに、女性として生活する個人が、その延長として自認する性でのトイレ利用(ないし自認する性での生活の貫徹)を期待する心情は一般に共感可能な範囲内であり、かつ現代西洋人権思想からも正当化され得るといえる。
ここで、“自認する性でのトイレ利用の擁護(ないし自認する性での生活の貫徹の擁護)”とは、「(Ⅰ) 男子トイレを利用するのを目撃されない」ことと「(Ⅱ)自身の生物学的性を明らかにされない」ことによって達成されるべきものであって、「(Ⅲ)女子トイレを他の生物学的女性と同じように利用する」ことを望む感情は、より保護価値が低いものであると考える。
尚且つ「(Ⅲ)女子トイレを他の生物学的女性と同じように利用する」ことを承認することは、後述するようにシス女性の心情的対抗価値と抵触するため、比較衡量のうえ、ひとまず保護すべき対象には含まれないと考える。
よって、以下では、“自認する性でのトイレ利用の擁護(ないし自認する性での生活の貫徹の擁護)”として、「(Ⅰ) 男子トイレを利用するのを目撃されない」ことと「(Ⅱ)自身の生物学的性を明らかにされない」ことを、保護されるべき対象として捉え、それらをどのように保護すべきか、また、保護可能かを考える。
ここで、“自認する性でのトイレ利用の擁護(ないし自認する性での生活の貫徹の擁護)”を達成するための方策は大きく二つあると考えられる。「①共用トイレの追加的設置」、と「②MtFの女子トイレ利用の一般的承認」である。順にみていく。
(20230731追記) トイレ問題について別案を思いついた。「女性専用トイレ」と「共用トイレ」の二分化に変更すれば良いのではなかろうか。女性の安全は確保され、コスト面もクリア。懸念としては、「共用トイレ」は実質的にシス男性の利用が大半となるので、果たして性的少数者の「自認する性で生活を貫徹する利益」の保護が実質的に達成されるのか否か。当事者からすれば、「結局男性用トイレを使用していると他者に看做される」と感じるかもしれない(概念上の認識の転換のみでは救済は難しいか否か)。
しかし、上記運用によって、少なくとも、“男性トイレと呼称される”トイレの利用を強いられることはなくなるし、同時に女性の”安全”も確保できる。猶、男性専用トイレが存在しなくなることで形式上の非対称が生じることについては、さして問題なかろうと思う。共用トイレ化について男性からの不安の声はあまり聞かない。
(20231025追記)
最高裁で性別変更に係る特例法の生殖不能要件を違憲とする最高裁判決が出た1。判決文全文も公開された2ので読んでみると、精緻な議論がなされており、感心した。流石は司法権の最高機関といったところか。
判決で違憲とされたのは4号規定(生殖不能要件)であり、多数意見は生殖不能要件の合憲性について論じており、そこも非常に勉強になるが、本判決には補足意見一つとともに、三つの反対意見が付されており、その反対意見は5号規定(外観要件)も4号規定と同様に違憲とするものであった。この各反対意見は、風呂トイレ問題など論争となっている事由にも踏み込み具に論じるとともに、草野耕一判事は、目的効果基準の適用に際しても、「5号規定が合憲とされる場合に現出されるであろう社会(以下「5号規定が合憲とされる社会」という。)と5号規定を違憲としてこれを排除した場合に現出されるであろう社会(以下「5号規定が違憲とされる社会」という。)を比較し、いずれの社会の方が、憲法が体現している諸理念に照らして、より善い社会であるといえるかを検討」したり、5号規定(外観要件)の制約目的を「自己の意思に反して異性の性器を見せられて羞恥心や恐怖心あるいは嫌悪感を抱かされることのない利益」と精緻化したりなど、その論証過程も非常に勉強になる。
いやはや、私の勉強不足もあるのかもしれぬが、最高裁の判決文で勉強になるとはこれ如何に。定期的に最高裁の精緻な判決文には感服する。
①共用トイレの追加的設置
「①共用トイレの追加的設置」については、さして有力な反対論が見当たらないように思う。強いて言うならば、女性スペースの縮小、軽視といった未来の帰結への拡大可能性を理由に「①共用トイレの追加的設置」に反対する声も散見されなくはないが、抽象度が高すぎて考慮要素とするとは難しいように思う。
もっとも、「①共用トイレの追加的設置」の方策の場合、「(Ⅰ) 男子トイレを利用するのを目撃されない」という目標を達成することは出来るが、「(Ⅱ)自身の生物学的性を明らかにされない」という目標は必ずしも達成されない。何故ならば、共用トイレを使用すること自体から、当該MtFの性に関する情報が推測される可能性が否定できないためである。
また、設置コストも問題となるが、固より多目的トイレの設置が増加しているという社会背景を捉えるならば、一般的普及の可能性も十分に存すると考える(この点に関しては後述する)。
②MtFの女子トイレ利用の一般的承認
「②MtFの女子トイレ利用の一般的承認」の方策の場合、「(Ⅰ) 男子トイレを利用するのを目撃されない」、「(Ⅱ)自身の生物学的性を明らかにされない」のみならず、保護価値の低い「(Ⅲ)女子トイレを他の生物学的女性と同じように利用する」という目標迄も達成可能である。
もっとも、「②MtFの女子トイレ利用の一般的承認」については、有力な反論がある。
例えば以下のものである。
(1)シス女性のトイレ利用の際の安全感安心感の低下(平穏生活の侵害)
(2)女子トイレ内での性犯罪の増加の危険と、犯罪目的のシス男性の排除不可能性の危険注3
(3)MtF(ないし生物学的男性)が女子トイレを利用することへの嫌悪感・違和感
まず(1)については、過去に生物学的男性が加害者、生物学的女性が被害者として、性犯罪が繰り返されてきたことの経験則から、合理的に導かれる予測として、承認されると解する。生物学的男性の反復してきた加害は、現代人に生きる男女問わず全ての人の頭に染み込んでおり、これを解消することはできないし、危険回避の観点から解消すべきではない。
なお、(2)については、必ずしも性犯罪の事例が増加するか否かは明らかではないものの、(1)の根拠として抽象的に把握される限りにおいては、重大なファクターとなっているし、現実に、インターネット上での、MtFのトイレ利用に反対する意見の大部分は(2)を占める。性犯罪増加への不安感というのは、具体的な増加可能性を問わずとも、(1)として保護すべきであると考える。
他方、(3)については、評価が難しい。というのも、(1)や(2)という観点を離れた、一般的な嫌悪感というものが、現代人権思想のもとで正当化され得ないようにも思うからである。個人的には、(1)や(2)のように具体化される範囲において、嫌悪感・違和感という感情的な忌避は是認されるものであると考える。
主張
さて、上記のような有力な反論がある中では、2023年7月13日現在、個人的には、「②MtFの女子トイレ利用の一般的承認」は認めるべきではないように思う。
理由は、「①共用トイレの追加的設置」により、少なくとも目標「(Ⅰ) 男子トイレを利用するのを目撃されない」は達成でき、且つ、目標「(Ⅱ)自身の生物学的性を明らかにされない」も一定程度は達成できるのであって、「(1)シス女性のトイレ利用の際の安全感安心感の低下(平穏生活の侵害)」、「(2)女子トイレ内での性犯罪の増加の危険と、犯罪目的のシス男性の排除不可能性の危険」、「(3)MtF(ないし生物学的男性)が女子トイレを利用することへの嫌悪感・違和感」といった対抗価値との抵触を容認してまで、「(Ⅲ)女子トイレを他の生物学的女性と同じように利用する」という目標を達成すべきとは、比較衡量上認め難いからである。簡単にいえば、費用と効果のバランスが取れていない。
なお、前述したように、目標「(Ⅱ)自身の生物学的性を明らかにされない」ことは、「①共用トイレの追加的設置」によっては完全には保全されないが、そもそも「(Ⅱ)自身の生物学的性を明らかにされない」ことが望まれる背景には、性的多様性に対する不寛容があるのであって、これは、むしろ、その不寛容を是正していくことにより解決する問題であろう。加えて付言するに、「①共用トイレの追加的設置」には設置コストの問題があるため、方策「①共用トイレの追加的設置」を採る場合、普及を待つことをMtFに要求することになるが、これは正当な要求であろう。長きに渡る性的二原論の世界に変容をもたらすのは、そう容易なことではない。もっとも、政府事業者は可及的速やかに、「①共用トイレの追加的設置」を目指すべきであろう。
さらに、「①共用トイレの追加的設置」の普及には限界もある。一定程度の普及可能性はあるように思うが、社会のあらゆる場所に共用トイレが設置されるのは、不可能か、あるいはかなり先の未来の話である。よって、共用トイレが存在しない空間においては、MtFは男子トイレの利用を迫られることとなる。これは許されるか。
私は許されると考える。固より、性的少数者の議論に限らず、生活のあらゆる場面で、あらゆる要求が受け入れられるわけではない。一定の場合に、要求が否定される場合もあるが、それは内在的な制約、限界というべきであって、甘受すべきものであろう。
そして、この点に関して重要な視点となるのは、長い時間の中での意識変化である。そもそも共用トイレの設置等で、MtFがトイレの問題で苦難するのは、社会に性的多様性に対する不寛容があるからである。性的少数者ないし多様な存在への理解が深まれば、MtFが女性の身なりで男子トイレを利用しても周りは許容できるようになることさえ想像できるし、MtF自身も、そのような寛容な空間の中においては、性別二元論的なトイレ利用の別に拘泥する意識も減っていくように思う。
つまりは、トイレ問題への対策は、未来の寛容な社会達成までの(ある種)時限的措置として捉えるべきであって、それ自体に完全性を求める必要はないのである。
付言すると、同じように長い時間の視点を導入した場合、科学技術の向上によって、上記のような問題が解決されることもあり得よう。セキュリティー環境が向上すれば、女性の安心感も担保されるだろうし、建築技術や、トイレ内空間の設計、男女別トイレ内での利用者間の姿態認識を阻害するシステム、等々近年目覚ましく発展する科学技術が倫理上の問題を一挙に解決する可能性にも期待したい。
脚注
- 性別変更の手術要件「違憲」 生殖不能求める規定「過酷な選択迫り無効」―二審に差し戻し・最高裁大法廷:時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2023102500791&g=soc
猶、今般の最高裁判決が、個別具体的事例での判断に重きをおき、一般的な規範の設定をしなかったのは示唆的であるとともに、事後的救済の場としての裁判所の判断手法としては、評価すべきものであると考える。個別具体事例で、当該MtFに女子トイレの使用を認めることが是認される場合もあることは当然であろう。典型的には、他の利用者の全てが異を唱えないような場合である。 ↩︎ - https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/446/092446_hanrei.pdf ↩︎
- ただ、統計上、性自認に合うトイレの利用を認める国において性犯罪等の件数は増えていないようである。内田舞「性自認に合うトイレを使える国で、「トランスジェンダーのふり」する性犯罪は起きているのか」. FRaU. 講談社. https://gendai.media/articles/-/113667?media=frau(2023年7月31日). ↩︎
[…] にしてしまったかな?反省。https://blog-rin-life.com/mtf%e3%81%ae%e5%a5%b3%e5%ad%90%e3%83%88%e3%82%a4%e3%83%ac%e5%88%a9%e7%94%a8%e3%81%ae%e4%b8%80%e8%88%ac%e7%9a%84%e6%89%bf%e8%aa%8d%e3%81%ab%e5%8f%8d%e5%af%be%e3%81%99%e3%82%8b%e3%80%82-2/ […]