LGBTQとトイレ問題、風呂問題、スポーツ問題
はじめに
昨今、性的多様性の社会的受容に伴い、トイレ問題、風呂問題、スポーツ問題が話題となることが多い。これらについては、いわゆるリベラル的な立場でも見解が別れている。そこで、今回は、各問題について私の現状の考え方を提示してまとめておく。
第1でトイレ問題、第2で風呂問題、第3でスポーツ問題について、考えられる解決方法を列挙し、最後に考察をする。
(20240122追記)
同様の論点について以下のブログを新たに書きました。扇状的なタイトルにしてしまったかな?反省。
https://blog-rin-life.com/mtf%e3%81%ae%e5%a5%b3%e5%ad%90%e3%83%88%e3%82%a4%e3%83%ac%e5%88%a9%e7%94%a8%e3%81%ae%e4%b8%80%e8%88%ac%e7%9a%84%e6%89%bf%e8%aa%8d%e3%81%ab%e5%8f%8d%e5%af%be%e3%81%99%e3%82%8b%e3%80%82-2/
第1 トイレ問題
方法①(評価:△)
3種類、つまり、男・女・多目的、のトイレを用意すべき。
→普及にはコストがかかる。
→多目的トイレに入ることで、性的な個人情報が明らかにされるリスクがある。
方法②(評価:△)
ジェンダーフリーのトイレに一本化する。
→よくいわれるのは、女性利用者の「安全」・「安心感」の低下。盗撮、性犯罪等を想起。
→普及にはコストがかかる。
方法③(評価:△)
現状のまま、男女二分で維持し、戸籍または生物学上(身体的特徴、外見)の性別もしくは、性器の別によって利用先を分ける。
→トランス女性(トランス男性)が、男子トイレ(女子トイレ)を利用しなくてはならないとすると、当事者に酷であるようにも思える。
方法④(評価:△)
現状のまま、男女二分で維持し、自認する性によって利用先を分ける。
→よくいわれるのは、女性利用者の「安全」・「安心感」の低下。盗撮、性犯罪等を想起。
<考察>
方法①が優れているように思う。普及コストは掛かるが、必要なコストだろう。多目的トイレに入ることで、性的な個人情報が明らかにされるリスクはあるが、それについては、性的マイノリティーへの差別が社会の中で解消されていくことによって、性的な個人情報が明らかになってもそれが不都合とならないような社会を目指していくべきに思う。
方法②・④は、女性利用者の「安全」・「安心感」の低下という懸念が指摘されるが、これは合理的な懸念であると思われる。よって採用は難しいと思う。
方法③には、倫理的な問題(身体的特徴を判断基準とすること、精神的性の軽視)があるように思える。性的マイノリティに生きづらさを与えてしまう。方法①の方が理想論としては優れている。
方法①の問題はやはり普及コストであるが、私はコストをかけるべき価値があるように思う。方法①が実現すれば、ほぼ全ての人が、生きやすくなるように思える。
※2023.4.29追記_やはり多目的トイレを普遍的なレベルにまで増やすのにはコストがかかりすぎるような気もする。男女二分類のトイレを基本とし、性的マイノリティの利用については、個々の事例に対応していくことで社会的な合意の基準を探っていくという方向に進むべきか。
第2 風呂問題
方法①(評価:△)
3種類、つまり、男性浴場・女性浴場・第三の浴場、を用意すべき。
→設置にコストが掛かるため、普及には限界があるようにも思える。
方法②(評価:×)
ジェンダーフリーの浴場に一本化する。
→いわば混浴に一本化するわけだが、そうすることの社会的要請があるようには思えない。
方法③(評価:△)
男女二分で維持し、生物学上(身体的特徴、外見、性器の別)の性別によって利用先を分ける。
→身体的特徴と自認の性が一致しないトランス女性(トランス男性)が、男風呂(女風呂)を利用しなくてはならないとすると、当事者に酷であるようにも思える(?→後述)。
→身体的特徴を判断基準とすることの理論的正当性の問題がある。つまり他分野においては自認する性を尊重していることとの整合性の問題(→後述)。
方法④(評価:×)
現状のまま、男女二分で維持し、自認する性によって利用先を分ける。
→帰結としては、女風呂に男性が入ることを実質的に排除できなくなるわけであるが、そうすることの社会的要請があるとは思えない。
<考察>
方法③が優れているように思う。
方法①について。普及コストは掛かるが、必要なコストにも思える。第三の浴場を利用することで、性的な個人情報が明らかにされるリスクはあるが、それについては、性的マイノリティーへの差別が社会の中で解消されていくことによって、性的な個人情報が明らかになってもそれが不都合とならないような社会を目指していくべきに思う。
もっとも、民間の銭湯等が、第三の浴場を設置する可能性は低いように思える。何故なら、利用者数を考慮したときに、設置費用に見合った利益が得られるとは考えにくいからである。設置されたとしても、簡易的で小規模なものであろう。
トイレ問題と異なり、方法③が評価を上げたのは、トイレ問題の方が生活の中での発生頻度が高く、より性的マイノリティの生きやすさを考慮すべきなのに対して、風呂問題は、問題となり得る場面が限られているから、方法①を選択したときに発生するコストを回避し現状維持の方法③を選択することも正当性があると考えるからである。もっとも、学校の修学旅行等で風呂に入ることになる際など、当事者からすれば重大な場面が容易に想像できるから問題を矮小化するべきではないが。
また、性的マイノリティ当事者についても、自身の身体的特徴(例えば性器の別)と反対の浴場に入りたいと考えている当事者(例えば身体的特徴が男性のままであるトランス女性で女性浴場に入りたいと思う人)は少ないのではないかと思われる。よって身体的特徴によって利用先を決めるという方法をとっても倫理的な問題が抽象的にではなく現実的に生じる場合は少ないように思える。
付言すると、方法③をとったときには身体的特徴を判断基準とすることの理論的正当性の問題がある。つまり他分野においては自認する性を尊重していることとの整合性の問題である。しかし、これは理論的な問題に過ぎず、判断基準を場合によって変えることの合理的な説明は十分に可能と考える。
以上のことから、方法③が優れているように思う。方法①は、普及可能性が低いし、要請も小さいように思われる。もっとも、性に関わらず利用できる浴場施設が増えれば、身体的特徴と自認の性が一致しないトランス女性(トランス男性)等も、気兼ねなく利用できる場が広がる。これは市場で、調整が行われるべきではないだろうか。
方法②については、そうすることの社会的要請があるとは思えない。
方法④についても、女風呂に男性が入ることを実質的に排除できなくなるわけであるが、そうすることの社会的要請があるとは思えない。
第3 スポーツ問題
方法①
自認する性で、どちらに参加先を分ける
→よくいわれるのは、トランス女性の女子競技で有利となるということ。
方法②
戸籍上の性によって参加先を分ける。
→よくいわれるのは、トランス女性の女子競技で有利となるということ。
方法③
生物学上の性によって参加先を分ける。
→トランス女性(トランス男性)が、男子競技(女子競技)に参加しなければならないとすると、当事者に酷であるようにも思える。※特に学校などの場においては酷に思える。
<考察>
オリンピック等のプロの競技(競技性の高い場)においては、方法③をとるべきだと思う。やはり、生物学的な性別によって身体能力差は大きく、女性競技者にとって不公平感は拭えないように思う。
他方、学校でのスポーツの場などでは、方法①をとるべきだと思う。そのような場では、競技上の公平を確保する必要性はそこまで高くはないし、幼少期に自身の自認する性と反対の集団に強制参加させられる(例えば女子生徒として生活している男子生徒を男子生徒としてしか参加させない)というのは、当事者にとって大きな精神的被害であろう。
なお、プロの競技においても、自認する性と一致する競技に参加できないというのは、倫理的な問題があるという指摘もあり得るが、私は、発想の転換をすることで、その問題は解決可能であると思う。
つまり、プロ競技においては、「男女別」ではなく、「ホルモン別」の区別であると考えるのである。生物学的に身体能力に優れる属性の集団と、そうでない集団とを区別しているだけであり、そこには性別は何ら関係ないと考えるわけである。そしてその区別の方法として、「生物学上の性」という基準を採用するのみである、と。格闘技で体重によって競技区分がなされているのと同様である。
このように考えれば、生物学上の性別で競技区分を画することに倫理的問題は生じないと考える。もっとも、このような意識をメタ的に共有するためには、それなりの説明をしなければならないだろう。
さて、以上のように、私は、プロ競技の場と、それ以外の学校等での競技の場とを分けて考えた。この両者の区別がどこまで可能であるかは議論の余地があるように思う。
第4 意見
1、渡辺輝人弁護士のツイート
ここでは、施設の利用法の基準を社会通念においているようだ。
2、千田有紀氏のyahooコメント
当事者の性自認は最大限尊重されるべきで、差別のない社会を望みます。 その一方で、性同一性障害特例法の手術要件が大法廷で審議される局面ですし、現在でもペニスがついている状態で女性として暮らしている方も沢山いらっしゃいます。 法案を心配されている方は、宗教右派だけではなくむしろ、男性がこれに乗じて性自認を悪用し、女風呂に入るのではないかという懸念を持つ女性たちです。すでに性自認による差別が禁じられている国では事件が起こっており、日本でも同様の事態がと危惧しているのではないでしょうか。 「事業者が誰にどのようなサービスを提供するかは、その事業者の判断になり、協議や調整が必要」「現実的にはトランスジェンダー女性が女湯に突然入ってくることは極めて少ない」というのではなく、「ペニスのある人は、女湯には絶対に入らない」と明言して法律に明記すれば、おそらく反対の声は収束するのではないかと思います
(yahooニュース「トランス女性の入浴めぐるデマ、差別助長のヘイト投稿で「傷つき、外出も怖い」 当事者らが声明 」への千田有紀氏のコメント(https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/sendayuki/comments/16790085797507.bb85.00040))
第5 参考となる文献
1、弁護士 帯刀康一 編著 市橋卓・大畑敦子・織田英生・木下岳人・五島丈裕・杉村亜紀子 著『知らないでは済まされない! LGBT実務対応Q&A ─職場・企業、社会生活、学校、家庭での解決指針─』(民事法研究会、2019年)117頁
2、弁護士 帯刀康一 編著 市橋卓・大畑敦子・織田英生・木下岳人・五島丈裕・杉村亜紀子 著『知らないでは済まされない! LGBT実務対応Q&A ─職場・企業、社会生活、学校、家庭での解決指針─』(民事法研究会、2019年)129頁
3、城祐一郎. (2022). 「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察」. 200頁
公衆浴場において、男性器を有したままの法律上の女性が、女性用の浴場で入浴することを可能にする法改正を主張されている問題についても、多くの一般女性がそれを容認しているといえるような状況があるのか甚だ疑問である。前述したように、心理学的な観点からも女性の防衛機能としての羞恥心を侵害するものに他ならないことなどを考慮すると、そういった女性の人権侵害を無視し、単に、法律的に外観具備条件を撤廃することこそが人権尊重であるといわれても、それによって畏怖、困惑する一般女性らの人権に対する配慮が欠けているのではないかと懸念されてならない。実際にも、既に、女装した男性が女湯に入ったという事件が発生しているのであり68)、この事件では、当該男性には建造物侵入などの犯罪が成立しているが、同様の事態が法律上適法なものとして起き得るのであり、そのようなことを一般女性が受け入れるとは到底思えないのであるが、それは時代遅れと批判されるようなことなのだろうか。
城祐一郎. (2022). 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察. 200頁
4、根本拓. (2011).「 性同一性障害者をめぐる法及び社会制度についての考察」. 東京大学法科大学院ローレビュー, 6, 106-126.
「公衆浴場において,外性器を備えていない者が入浴した場合,他の入浴者に混乱が生じる場合がありうる。本来,性同一性障害者が自己認識における性に基づいて入浴した場合,他の入浴者が,性的対象として見られる不利益を被ることはない95)。しかし前述した公示の問題があり,さらに反射的に感じてしまう抵抗感は保護に値する。また,公衆浴場で自己認識における性に基づいて入浴する性同一性障害者の利益は,人格的生存に不可欠とまでは言えないと思われる。かかる観点から,例えば改正案の⑤要件の充足により法的性別を変更したものの,SRSを行っていない性同一性障害者に対して,公衆浴場の経営者が変更後の法的性別での入浴を拒否したとしても,他の入浴者の性的安心感を保護するという目的には合理性があり,その目的のために性同一性障害者の入浴を制限するという手段も妥当なものと言わざるを得ないと考える。したがって,その拒否行為は公序良俗に反して不法行為に当たるとまでは言えなくなる。」
(根本拓. (2011). 性同一性障害者をめぐる法及び社会制度についての考察. 東京大学法科大学院ローレビュー, 6, 106-126.)