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私の相対主義的思想とイスラム的規範

私の相対主義的思想とイスラム的規範

 大学の三年〜四年頃から私は簡単にいえば、相対主義に似た立場を取り始めたのであるが(「田野大輔のブログ」1「クィアベイティング」2などでも表現されている)、思えば本サイトにおいては、その立場について説明していなかったので記しておこうと思う。
 ここでいう相対主義とは、真理や価値は主観的なものに過ぎず、相対的に存在しているものであり、絶対的に存在しているものではないという思想であるとしよう。
 例えば、人権思想や人類の平等なども、一つの立場に過ぎず、人間が作為したものに過ぎないとする立場である。それに対して、「人権が発見された」とか「自然法」だとかいう言葉の使い方をする人は、ある価値・規範(i.g. 人権)が、いわば、三平方の定理のように、あるいは分子の構造のように、高い確度を持って共有可能な、絶対的な真理として存在するような表現をするのである。相対主義者はそういった表現はしない。
 ここで、「相対主義の矛盾」乃至は「相対主義のパラドクス」というものがある。弟ともかつて議論になったが、これは「すべては相対的であるというテーゼを君は主張するが、そのテーゼに従えば「すべては相対的であるというテーゼ」そのものも相対的でしかないはずであり、これは自己矛盾ではないか」というものである。この論駁は相対主義に対しては有効なのかもしれない(その辺の最新の議論は追っていない)。
 しかし、私の立場は一般的な相対主義とは(おそらく)異なるので、上記の自己矛盾の批判は該たらないように思える。
 私の立場とは、「今現在までの哲学や自然科学の学問、あるいはその他人類の活動によって、自然現象の分析のような確度3でもって証明された価値・規範というものは存在しないのだという事実を尊重しよう」というものである。
 かつての弟との価値規範を巡る論争において、弟は「なにもわからない」というテーゼを掲げ、私のすべての問いに「わからない」と返答し、私はそれに対し「それでは対話が不可能ではないか」と反発した———沖縄の北谷(場所)で怒鳴り合いの喧嘩になって、そのまま彼は沖縄を去った———。しかし、その後、私の思想は当時の彼の思想に近づいていくこととなったわけである。
 ここで、私が相対主義的なものへの確信を強めることとなった動画を紹介する。VICE NEWSの「Inside Iran: What Happened to Iran’s Women-led Uprising? 」4という動画である。ジャーナリストのIsobel Yeungがイランに潜入してイランの女性運動やその周辺動向を取材するドキュメントである。その取材で一場面では、Isobel YeungはTehran International Book Fairに赴き、そのイベントのエントランスに設置されているセンター ———女性に正しいhijabの付け方を指南するセンター———のVolunteer Hijab PromoterであるNaimaと対話する。その動画再生時間6分50秒程からの対話が示唆的であるので以下に引用する。

  • Yeung: What is your role here?
  • Naima: We are speaking about their questions about why we have this. If we are Muslim, why should we have this. If they are somebody who are not Muslim, they why… why they should have this.
  • Yeung: uh-huh.
  • Naima: I am here to speak with the teenagers, with the young people, to tell to them think about my speaking, think about what I say to you.
  • Yeung: So, you’re trying to influence them.
  • Naima: Yes, yes, yes and now the media, those media who don’t want our country, don’t want our independence, say and say and tell and tell about your woman don’t, shouldn’t have this, this is not Freedom.
  • Yeung: So, you think that it’s Western media, that is influencing women.
  • Naima: Of course, it is. Of course, it is. you know…
  • Yeung: It’s nothing to do with the fact that some women might choose not to wear a head scarf?
  • Naima: Very little, you know, very little some women, you know. Um… Iranian people, the problem of Iranian people is not Islam, but the medias don’t want Islam. You know?
    Your problem is this is scarf? No! We had Islamic revolution, because we love Islam and Islam is whatever God say to us, not whatever I want, you want, whatever you want, whatever she want, whatever… you know?
  • Yeung: So there shouldn’t be that personal freedom of choice?
  • Naima: Yes, choice in the in the limit of Islam, whatever God let us.
  • Yeung: Right.

(文字起こしはyoutubeの自動文字起こし機能に本記事執筆者rinが修正を加えたもの)

 どうだろうか。まさに、ここでは西洋諸国の人権思想や選択の自由なるものが相対化され、イスラムの「神が何を望むか」という基準が真っ向から提示されたときに、そこに論駁する術がないことが端的に示されているように思う。

脚注

  1. 『関心領域』の過大評価と田野大輔の論考への批判(?) | blog rin life https://blog-rin-life.com/%e3%80%8e%e9%96%a2%e5%bf%83%e9%a0%98%e5%9f%9f%e3%80%8f%e3%81%ae%e9%81%8e%e5%a4%a7%e8%a9%95%e4%be%a1%e3%81%a8%e7%94%b0%e9%87%8e%e5%a4%a7%e8%bc%94%e3%81%ae%e8%ab%96%e8%80%83%e3%81%b8%e3%81%ae%e6%89%b9/ ↩︎
  2. クィアベイティングについての猫黒歴史さんの記事を読んで。ーその2|rinp12 https://note.com/rinp12/n/n168ef692bd62 ↩︎
  3. 自然科学の分野でも、その証明は厳密には絶対的なものではないと思われる。反証可能性が科学の必要条件だと言われる(おそらく?)所以である。以下も参照。
    ・新井敏康「数学を論理で読む」ー公開講座「論理」2020(https://www.youtube.com/watch?v=G5NKC6XizMc )
    ・東浩紀『訂正可能性の哲学』316〜319頁 ↩︎
  4. https://www.youtube.com/watch?v=VAQRCCWsi-s (おそらく、Dec 25, 2023, 10:38:45 PM JSTに初視聴) ↩︎

rin

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