伊藤詩織(Shiori Ito)『Black Box Diaries』
視聴した。
テクノロジーの発展を待つとかいうのんびりした構え(後述)を反省させられるような感覚。司法システムでは限界があるとして、それに対抗するオルタナティブな手法へ希望がもてるような気もする。しかし、伊藤さんが非常に優秀で強い人物であること、それにより今回の手法が可能になったということも忘れてはならないように思う1。こういったある種私的な救済のノウハウを醸成させていくことの是非はどうか。ひとつの重要な参照ケースであることは間違いないだろう。重ねていうが、司法システムは性犯罪と相性が悪いところがあり2、これの改善には限界があると考えている(それを具体的に、短期的にどのように突破するかのアイデアが今のところ私には浮かばないし、そのようなアイデアをみたことがない。したがって、長期的なテクノロジーの発展に期待するという態度(後述)をとった)。私は国家の暴力装置の発動に対する慎重さの感覚は捨ててはならないと考えている(これが司法システムの改善の限界の要因である)。その前提の上で、本事案は外在的な解決策を予感させるものではある。簡単に言えば民間のジャーナリズムによる解決策である。しかし、私的救済の発動に慎重になるべきということもまた、忘れてはならないのであって、どこまでいってもバランスは難しい。しかし、やはり重要な参照点にはなるだろう。
ただ、再度翻るに、映像媒体は強烈な印象をオーディエンスに与える。印象操作の危険も認識されなければならない(今作も観ていて強く心を動かされる)。例えば、本作は何処まで信用に足るか、という問題も、真剣に考える必要があるだろう。しかし、そのような問題意識を説いたとて、「では、君はどの程度の証拠を見せられれば、性犯罪が起きたと確信できるのか」と問われると閉口してしまう。現場の映像など残っていないことがほとんどだし、物証も残らない3。そのような場面で被害者に如何なる立証が要求できるというのか。
無断使用の問題4はどうだろうか。「裁判以外で使わないと誓約した監視カメラの映像の無断使用」がどれほどの意味を持つのか、判断が難しい。取材源の秘匿が脅かされるとなれば、これもまた負の波及効果を生む。しかし、当の監視カメラの映像や各種音声はたしかに当人からすれば公開せずにはいられないように思うし、評価によれば、上記の無断使用の問題があったとしても、使用が倫理的に正当化される可能性も感じるような内容ではあったが、議論の余地があるかもしれない。
諸手を挙げて、被害者擁護の声を上げられないのがもどかしい。しかし、冤罪の可能性の認識と加害者の人権の擁護ということを考えて以来、声を安易に上げられなくなってしまった。未だに性暴力事件について、個人としてどう判断すべきなのか、どう情報に向き合うべきなのかという問題に答えが出ていない。ドグマとして、被害者への疑いの目を表出してセカンドレイプをするようなことは厳に慎むこと、そして他方加害者(被疑者)への公的・私的制裁に慎重を期すこと、これらをどう両立するか。そんなことすら措定できていないのだが、例えば顔を使い分けることはできるだろう。被害者に向き合うときは、被害者に徹底的に寄り添うのだ。そして、被疑者に向き合うときは、被疑者の声にどこまでも真摯に耳を傾けるのだ。こういった顔の使い分けをするのが一つの手かもしれない。
「テクノロジーの発展を待つとかいうのんびりした構え」について
「テクノロジーの発展を待つとかいうのんびりした構え」とは今まで私が性犯罪について考えてきたときに随所で書いてきた暫定的解決案の総体のことである5。以下引用する。
性犯罪の問題は結局のところここが難しい。物証が無いことが多いため、被害者は泣き寝入りすることになりがち。それに対し、被害者の言葉を常に受け入れれば冤罪が生まれる。裁判でも真実がわかるわけでは無い。結局、冤罪防止のため、裁判でも、社会評価としても加害認定については厳密な証拠を要求し、他方、被害救済のためには、物証保全のノウハウの普及を進める等が進むべき道なのかな。
(https://x.com/ri70402631/status/1721848053269938396)
草津町を「セカンドレイプの町」と呼んだフェミニストらの横暴を許すな 黒岩信忠(群馬県草津町長) https://sankei.com/article/20230417-WFKNBTPHDJGYXEMVUUKL5F34H4/… via@Sankei_news
毎回思うが、性犯罪は、他の犯罪に比して、未だに立証が困難なままであるために、法体系全体の中で歪なねじれを生じさせているように感じられる。 社会環境等諸条件の変容で、一般に犯罪は、冤罪の蓋然性を減らしながらその処罰の確度を上げていくことに成功しているが、性犯罪は別なのである。 たとえば、リベラルや、フェミニズムがしばしばとってきたように、徹底的な被害者擁護の立場をとることは、司法の場面においては冤罪を誘発する。しかし反対に、厳密な立証を要求するならば、被害者の泣き寝入りに目を瞑らねばならない(性犯罪は立証が難しいから)。 この問題については、長期的には技術的発展が解決するものと思われる。surveillanceシステム6や、証拠保全技術が十分に発達することで、事態は改善に向かうと思われる。しかし、逆に言えば、それを待つ必要があるということだ。法学の内在的な議論や、裁判の運用の調整で、なんとかなる問題ではなかろう。勿論、上述のような技術の特異点は数十年先になるかもしれないので、法学内部での解釈論議も続けるべきなのだろうけれど。
(https://x.com/ri70402631/status/1831556953350529332)
性加害疑惑…伊東純也が初めて明かした胸中「気持ちが晴れることはないけどファンの応援は嬉しかった」(FRIDAY) #Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/e0b958031e162c9e31aebe3825e68882f9390579?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20240905&ctg=spo&bt=tw_up
少しネットで調べると、痴漢は被害者の供述証拠のみで有罪となることがあるとのこと。改めてそのことを認識すると、少しギョッとするわけである。逮捕されて、裁判になって、被害者の供述のみで有罪になるとは如何と。 しかし、例えば、触れてきた手を掴み声をあげたその人が、他の証拠を用意できる可能性は高くないだろうし(実際、供述証拠のみが決め手になる裁判はどの程度の割合なのか)、意を決して性被害を糾弾したその人が、立証の壁に突っぱねられ、嘘つきという社会の目にさらに傷を深くしていくのを見る時には、先ほど、痴漢冤罪に感じたのと同じほどの憂慮と怒りに身が震えるのである。性犯罪は物証が残りにくいのだ、なぜそれが分からぬのか、と。 長い目で見て、監視技術と監視体制の発展により、この問題の二つの方向を、つまり冤罪防止と、犯罪防止の二つの目的を、同じように解決することはあり得ると思う。しかし、司法技術、例えば、供述証拠をどう扱うべきかなどの理論が、この問題を解決するようには思えないし、これ以上改善できるのかどうかも疑問である。
(https://x.com/ri70402631/status/1845385879810080922)
以上。
脚注
- その強さ、賢さを持たない人々の助けにも、今回の手法は役立つかもしれない。今回は被害者がカメラを回したが、その役割を他の人にあてがうこともできるかもしれない。例えば被害者の要請で独自に被害者の情報発信を行うような恒常的な組織などが立ち上がれば、それは司法制度のオルタナティブとなりうるかもしれない。私的制裁の蔓延などにつながる虞の認識は必要だが。 ↩︎
- おそらく原理的な相性の悪さだろう。それは立証の難しさに起因する。 ↩︎
- 性犯罪を扱った近年の映像作品で別の傑作がある。『Unbelievable』(2019)というNetFlixのシリーズだ。この作品は、『Black Box Diaries』でも主題化されている「被害者の態度」の問題や証拠のない事件の問題等、ほかにも豊穣な示唆を与える。 ↩︎
- 望月衣塑子 on X: “伊藤詩織さんのドキュメンタリー映画「Black Box Diaries」がアメリカ・アカデミー賞のドキュメンタリー部門でショートリスト15作品に選ばれた。このことを喜ぶ声も多いが、その舞台裏には大きな問題が横たわっている。 https://t.co/hVAK37x9VD” / X https://x.com/ISOKO_MOCHIZUKI/status/1869541196986802464 ↩︎
- 私は、大学で法学を学んでいるときに、冤罪や加害者の人権についても注視していた。其の姿勢は今でも影響していると思い、被害者に寄り添えない思想だという批判もあるかもしれないが、私は、冤罪や加害者の人権が擁護されることで、被害者側の援護も思い切ってできるようになるという意味で両者を、対立軸としてではなく、同じ方向を向くものとして捉えることもできると考えている。 ↩︎
- 例えば、電車内に監視カメラを十分に設置し、その映像は管理権限を厳格に制限しておき、痴漢の訴えがあった場合に捜査機関がその映像データ群にアクセスできるようにするなどすれば、防犯は一定程度達成されるとともに、冤罪も防止されるだろう。ただ、斯様なアイデアを社会一般に拡張するとまさに監視社会を是認することにもなりかねない。また、果たして長期的にみたとしても、果たしてそのような遍満する監視体制が技術的に可能になるのかという疑問もないではない。他の方向としては、証拠保全技術が自然科学によって向上されることにも期待している。 ↩︎