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『Deadloch』season 1 感想〜〜三島由紀夫「一番病」、高橋留美子、知識人の阿片〜〜

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『Deadloch』season 1 感想〜〜三島由紀夫「一番病」、高橋留美子、知識人の阿片〜〜

見た(字幕版 at primevideo)。感想。以下ネタバレあり。

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 いや、びっくりした。ここまで多面的に肯定できる作品とは。 

 エンターテインメント作品としての質の高さは真っ先に評価できる。これは重要である。
 その上で、両輪として重要なのが、思想性やテーマについてである。
 まず、いうまでもなく、リベラルな思想や学問、とりわけフェミニズムの業績は、この作品はしっかり踏まえている。この点は、最低限の基準だろう1(この基準さえ満たしていない日本の作品の問題点は後で述べるとして)。その上で、この作品はその先に到達していると解釈できる。いやはや欧米の作品はいつ見てもアジアの作品の数歩先を行っているといつも思い知らされるようだ。

・作品の思想性

 つまり、先ずこの作品は、フェミニズムやジェンダー論を踏まえた結果、テルマ&ルイーズにいわゆる2男性嫌悪にまみれた作品ともいえそうに一見思える。
 しかし、そうだろうか。私はテルマ&ルイーズの批判に応答しているかどうかは別として(つまり、この作品は男性嫌悪の問題を克服しているとは必ずしもいえないようにもみえるが)、しかし、明らかにその先の進展を内包していると考える。つまり、フェミニズム、あるいは、フェミニズムを含む「思想」というものそのものへの批判的な視点である。
 すなわちここにあるのは、三島由紀夫の「一番病」「優等生病」の問題である。三島は全体主義、天皇主義から西洋相対主義、リベラリズムに一夜のうちに早替わりした日本人を批判したが、それと同じように、この作品は(父権主義・男尊女卑・マスキュリニティ・家族主義)→(フェミニズム・ジェンダー擁護)というように、あっけらかんと無自覚に早替わりする社会の潮流そのものに疑問を呈していると解釈できるだろう。つまり、ただ単に社会のマジョリティの規範に従うだけの人民が、その傾向において何を指向しているのか。そこに問題提起をするのである。これはなかなかいい視点だし、これがまた上手く表現されている。少なくとも単なるリベラル・フェミニズム・ジェンダー擁護の作品とみるのは誤りだろう3
 この問題はレイモン・アロンが共産主義を「知識人の阿片」と表現したことも想起させる。要するに人間社会は、思想の間隙に耐えられないのである。全体主義の崩壊から共産主義に傾倒し、その共産主義の夢が敗れた後、その思想の間隙を埋める慰めがフェミニズム・ジェンダー論となってはいないだろうか、という批判だ。


・従来的なフェミニズムの観点

 勿論、単に従来的なフェミニズムの視点からしても評価できる点はある。それは、人権意識とか、父権への抵抗とか、そういった意味ありげなレゾンデートルを排した、ただ単に「欲望する女」を描いていることである。この視点はさして新しくはなく、高橋留美子よろしく、いろいろな挑戦がなされている。しかし、日本のフェミニズムを騙る層には、その意味が理解できていない部分が多いと思うので、「欲望する女」のモチーフを踏まえておくことの意義は未だ薄れていないように思われる。

・クィア作品として

 さて、クィア作品としてジャンルに入れてみるとどう見えるか。タイでは『Gap: The Series』4『Blank the series』をはじめとしてクィア作品(主にGL)が流行しているし、日本でも『おっさんずラブ』5をはじめとして、地上波にまでクィア作品はなだれ込んできているが、これと比較してみるとおもしろい。まずタイの作品は、かなりアラが多い。数十年前の日本の少女漫画やBL漫画を政治的配慮がガバガバなまま作品にしたようで、ある種微笑ましいほど素朴な作りになっていて、それがいい味を出しているような気もする。日本ではもう今では難しいような大道パターンをバンバン突っ込んでいる。

 ただ、タイのGL作品ではその文化の時間的醸成の短さ等を考慮して、「微笑ましい」とか言っていられるが、私の住する所の日本の作品については日本国民としてどうしても評価が厳しくなるせいもあるが、やはり全然笑っていられないし、呆れるを通り越して悲しくなることもある。あまりにも程度が低い。「おっさんずラブ」も「水星の魔女」も”ジェンダー論やってみました”感のレベルから未だに脱していないようにみえて、どうしたものかと頭を抱えたくなる。バタくさいといわれそうだが、やはり欧米の作品は数十歩前で試行錯誤しているように見える。

・作家の性別

 ところでテルマ&ルイーズは脚本家が女性であるし、高橋留美子も女性だし、今回の『Deadlock』も脚本、監督は女性でしかもクィアである。いやはや、あまりこういう雑駁な議論はしたくないが、しかし、やはり当事者でないと当該問題は描けないのであろうか。西洋リベラリズムの当事者主義に関しては批判的なのだが、こういう事例を見るたびに頭が痛くなる。逆に言えばアファーマティブアクション的な方法論はやはり必要で正しい方向性なのだと前向きにみることもできるだろうが。

・思想性・政治メッセージの明晰さと明白さ

 さて、言っておきたいのは、メッセージ性の明白さである。なんと誤魔化しのない、はっきりとした意思表示だろうか。この点だけでも拍手を送りたくなる。よくある作品の「クィアな登場人物いれてポリコレ配慮しました」というやっつけ仕事感の恥ずかしさと好対照だ。ぼんやり、ポエジーなこといって、「あとはわかるよね」「各自で解釈して」というのは、ただ空虚さを暴露しているにすぎないだろう。別に分かりやすくしろと述べているのではない。しかし、思想の空虚さは隠せない。

・まとめ

 さて、見た直後に書き殴った記事なので諸手を挙げて安易に評価しずぎたかもしれない。しかし、とりあえず衝動的な感想の記録として残しておこう。欧米の作品の到達度の高さを思いしった作品であった。


  1. 思想的にそれに同調するかどうかは別として、それに応答しているか否かという基準。 ↩︎
  2. 男性性をリアルに、あるいは過度に描いているThelma and Louiseは、
    accused of everything from promoting casual sex to promoting casual misandry
    とか
    “an attack on conventional patterns of chauvinist male behavior toward females”
    “exposes the traditional stereotyping of male–female relationships”
    など、フェミニストからの支持を得たり、逆にフェミニズム勃興期以降、常に混濁してきた男性嫌悪的な視点が非難の的となったりした。(Thelma and Louise のwiki参照) ↩︎
  3. 勿論、保守的視点からすれば、シーズン1の終盤は無自覚な性多様性の称揚になっているという味方がされるようにみえるが、私からは、冷めた視線・アイロニックな視線も意識されているように思えた。あそこまで思想的に踏み込んだ作品が最後にLGBTQに乾杯して幕を締めるとも思えない) ↩︎
  4. https://blog-rin-life.com/%e3%80%8e%e3%83%aa%e3%83%83%e3%83%97%e3%83%b4%e3%82%a1%e3%83%b3%e3%82%a6%e3%82%a3%e3%83%b3%e3%82%af%e3%83%ab%e3%81%ae%e8%8a%b1%e5%ab%81%e3%80%8f%e3%81%a8%e3%80%8c%ef%bc%88%ef%bc%9f%ef%bc%89%e3%80%8d-2/ ↩︎
  5. https://note.com/rinp12/n/n5ab0dcb5b120 ↩︎

-ジェンダー論, 映画
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