『ライアの祈り』と不妊。雑感。
観返した。2015年夏以来2度目。
以下ネタバレあり。
雰囲気はいいのだ。だから見返したのだと思う。
観返して、気がついたこともある。再確認ともいうべきか。
当時は若く、特に気に留めていなかったが。
この映画では、「不妊」がひとつのテーマになっており、「人間にとって一番大切なことはなにか」という問いも投げかけられる。
それへのひとつの答えが、「族長」による「子孫を残すこと」という答えであったのである。
それに対し、鈴木杏樹(登場人物名でなく演者名で記す)は悩み、作品としてなにか別の答えが出されるのではないかとか、私は、期待して作品を観る。
ひとつには、鈴木杏樹の母は、「孫の顔を見せるとかいう親孝行はする必要がない。あなたが生まれてきたことだけで、私は一生分の幸せを得たのだから」という。が、結局、子を産む(生まれる)ことに究極的な価値を置いて語ることから脱しておらず、その答えは、残酷ではなかろうかと思う。
ふたつには、ラストで、宇梶剛士は、「人間に大切なのは、子孫を残すこともそうだけど、未来になにかを残すことだと思う。そのやり方は人それぞれにあって、、、」みたいなこともいうけれど、それ以上詳述されない。不満だけれども、そんなに悪くないアプローチだと思ったので、小説版をkindleで買って、斜め読みしてみた。
「子を産む」「子孫を残す」ことが人間の究極価値だという命題に原作者はどう論駁するのか、ということを知りたくて。
そこで驚愕したのだ。
なんと、ラストシーンで、鈴木杏樹に奇跡的に子供ができてハッピーエンドという幕引きで、それが感動的に演出されているのだ(!)。
なんたることか、「子を産むことが人間の一番大切なこと」という命題に挑戦するどころか、それを追認して終わるとは。
この小説を読んでいた、そして救いを期待していた不妊に悩む人はどう思うのだろうか。
というか、作品として、なんら別の価値を示さないという姿勢はどうなのか。小説のレヴューはそんなに悪くなかったのが驚きだ。
大学のレポートなら、落第ではなかろうか。まあ、大学のレポートではないのだ。哲学の部分がぐだぐだでも、読者を惹きつける魅力があるならそれでもいいかもしれない。
いや、しかしびっくりした。作者はどういうつもりでこの作品を書いたのだろうか。
映画では、流石におかしいと監督も考えたのか、最後に子供を授かる場面は採用されていなかったが。いやはや。
まあ、しかし、小説版は飛ばし読みしただけなので、文句はこのくらいにしておこうか。