「プロレス的な楽しみ方」について〜先ずアイドルから〜
人は色々なアナロジーをする。高橋源一郎的にいえば、「これは、アレだな」である[1]。 私にもいくつか繰り返し、思考に上るアナロジーがあるが、その一つが「プロレス的」なおもしろさである。
ある時はアイドルの面白さについて考えるときにそのことを考えた。アイドルも、業界や、グループの人間関係がわかってくると、ある二人が一緒に画面に映っただけで、「熱っ」と感じるものである。あるいは、傍目にはへたくそな歌を歌う女の子が、実は観客のおっさんには、その歌う姿にこれまでの数年間の努力の片鱗がありありと刻まれているのが如実に伝わっていて、堪えきれない涙を生じさせたりするものだ。また、舞台裏の裏話とか、バックステージの関係性などが、神話のようにコンテンツ化していくところも似ているだろう。
猪木のタオルを首にかけるコンマ何秒が、身震いするほどかっこよく、ドーパミンが迸るのも、例えば、白金色の彼女の髪が間奏のダンスで揺れる瞬間を何度も繰り返し再生するのも同じ精神作用だろう。
このアナロジーは前からあったが、吉田豪がプロレスとアイドル好きなこととかも示唆的ではないか。
ところで、村上隆が斎藤幸平と対談しているときに、アートの楽しみ方について、プロレス的な楽しみ方と似ていると話していた。[2]この話を聞き、プロレス的なものの話はもう少し敷衍できるのではないかとも思った。
また、話は少し変わるが、アイドルとパチスロの楽しみ方も似ている部分があるように思う。というのは、演出の部分である。ゴッドのフリーズを引いたとき、あの瞬間的なカット演出にドーパミンが出る感覚は、このMVの「ここヤバッ」という感慨で半日動画の五秒バックボタンを押し続ける感覚と似ている。評価対象の時間経過と興奮の対応比率のようなものである。
プロレス的な要素はについて、ここまで①ストーリー性、②瞬間的演出(猪木のタオル、ハンセンの登場他)の二種類について言及した。
これは興味深い二要素の対立である、一方で、コンテンツに属する時間をどんどん引き延ばし壮大なストーリーの情報量を雪だるま式に増大させていきながら、他方で、その伸び切った時間を急に極限まで縮めて瞬間的な演出で爆発させるわけである。
さて、今回は、ここで、「プロレス的な楽しみ方一般説」を少し考えてみたい。このプロレス的な楽しみ方は様々な趣味について類似性を見出せるのではなかろうかというアイデアである。
例えば、野球等スポーツに関しても、プロレス的にな楽しみ方の要素は当てはまるのではなかろうか、ファンは、選手や球団のストーリーを頭に入れ物語的に次の展開への興奮の素のようなものを増幅させていくし、同時に興奮が爆発する瞬間はホームランのときなどに、代表される。
私は、チェスが好きで一時期主要な大会や配信(チェスの選手ではtwitch等で配信を業とする者も多い)をみていたのだが、チェスの場合は、ストーリー性ーーーここでMagnusとHikaruが決勝で当たるか!とかーーーはあるかもしれないが、他方、瞬間性はあまりないかもしれない。
一般に絵画単体を見る時の時間的に緩慢した感じや小説の楽しみ方は全然違う。ドラマやテレビも違うか。また、アイドルに関しても、楽しみ方については大分バリエーションがある。伝説の番組『中年純情物語~地下アイドルに恋をして~』の「きよちゃん」的な層は、いわゆる在宅オタとかとは全く情感が異なるだろうし。
うむ。あまり一般化はできないかもしれない。まあしかし、「プロレス的楽しみ方」のアイデアの考察は続けたい。
[1] 内田樹氏トークライブ(「びんせんとペンごっこ」展特別イベント)(2022.5.26)フルバージョン – YouTube https://www.youtube.com/watch?v=pG3W4R-6cZQ (21分15秒頃から)。【高橋源一郎にきく】今あえて社会を内面化しない勇気 – YouTube https://www.youtube.com/watch?v=FhTBVLG-abI
[2] 【村上隆vs斎藤幸平】真の資本主義に挑んで勝て!芸術家・村上隆の魂とは?【高橋弘樹】 – YouTube https://www.youtube.com/watch?v=ZLU7eBFn5bg (21分50秒)