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覚書

投稿日:2024年12月28日 更新日:

覚書

by rin (appropriation of the photo of Bill Evans)

(20241228_16時頃)
 フルキエの『「《哲学講義》認識Ⅰ」』を読んでいると以下のような記述があった。
「最後に、現在の知覚もしくはイメージが、過去の知覚の思い出と比較されるとき、思惟による再認がなされる。或る子どものなかに、彼の父親や叔父が子どもの頃にもっていた特徴を見てとるのは、そういうわけである。あるいはまた、映画『ローマの休日』の若き王女アンヌの顔が、新聞に出ているその写真に比較されるのもそういうわけである。」(P.フルキエ, 「《哲学講義》認識Ⅰ」, 1976, 筑摩書房, 176頁)
 ここで言及される『ローマの休日』のシーンは映画内開始35分ほどのシーンであると思われる。






(20241228_17時頃)
空の冷たきこと。その冷たさ、空気、空間へのしばしばの突発的な希求と憧憬、回帰願望。
その映画の例。『KILLING EVE』『thelma film 2017』『side effects 2013』『FARGO/ファーゴ』




(20241230_9時頃)
カテリーナ・スフォルツァ(Caterina Sforza)(https://w.wiki/3rL3 )

ジローラモが暗殺された際のエピソード(伝説?)は有名である。カテリーナと子どもたちは城外で反乱側に捕えられた。しかし、城の守備隊は降伏しなかった。そこでカテリーナは反乱側には守備隊を説得してくると言って、子どもたちを残し城に入っていった。彼女が城に入ったまま出てこないので、反乱側は人質の子どもたちを殺すと脅した。すると、カテリーナは城館の屋上に立ってスカートを捲り上げると「子どもなどここからいくらでも出てくる」と叫んだのだった。これには反乱側もあっけに取られた。やがて援軍が到着し、反乱は鎮圧された(ただし実際に城壁の上でスカートを捲り上げたかは疑問も残る。城壁の上からでは反乱軍まで声が届くはずがなく、また逆に弓矢で射られる可能性もあるためである)。

カテリーナ・スフォルツァ – Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A1)





(20241231_11時頃)
引用文にある段落を省略する時には、「/」(スラッシュ)を用います。」(他人の作品を引用する時の注意 https://www5f.biglobe.ne.jp/~eLearning/copyright2.html )




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